50位:周泰(しゅうたい)
孫策から孫権まで仕えた呉の武将。仕える前は湖賊をしていたが、破竹の勢いを誇っていた孫策に仕えるため城を手土産に孫策の元へ下る。
孫権と劉備連合が強敵・曹操を破った赤壁の戦いや、魏と呉の大戦・濡須口の戦いなどに参加。特に濡須口の戦いでは、孫権を襲った魏軍の矢の雨を剣で振り払い窮地を救った。
呉の宿将であることと幾度もの合戦で実績を残していることからこの順位となった。
49位:馬謖(ばしょく)
蜀の武将で、馬良の弟。蜀の大軍師・諸葛亮にもその才能を認められた逸材である。諸葛亮の最大のライバルでもある魏の軍師・司馬懿を権力から遠ざけることに成功したことから、謀にも長けていることがわかる。
しかし、街亭の戦いでは兵法の原則を過信したあまり、百戦錬磨の張郃に陣形の不備を突かれて大敗を喫してしまう。
知力の高さは申し分ないのだが、大勢を見据える力に欠けているためこの順位となってしまった。
48位:董卓(とうたく)
洛陽の混乱に乗じて漢の皇帝を傀儡とし、一時は都を手中に収めた豪族。天下無双とも言われる武勇を誇る呂布を筆頭に、知勇に優秀な家臣団を持つ。
しかし、暴虐の限りを尽くしたために全土の君主・武将から反感を買い、最期は義理の息子である呂布に討たれる。
暴君ぶりが目立つ董卓だが、その政治力の高さとずる賢さは、時の権力者に上り詰めただけあって並の武将では比にならないだろう。
47位:諸葛瑾(しょかつきん)
呉の武将で、諸葛亮の兄。劉備軍の政治中枢を担う軍師の肉親ということで、劉備や諸葛亮の元へ外交の使者として訪れることも多い。孫権のもとで長きに渡って仕えていたため信頼も厚い。
諸葛亮の北伐に乗じて呉が江夏を攻めた際には、将軍・陸遜のもとで一軍を率いて戦った。
諸葛亮と渡り合うことは敵わないものの、外交面や時には軍師として力を発揮しており、孫権から信頼を置かれていた点からも能力の高さが伺える。
46位:曹丕(そうひ)
曹操の実子で、魏の初代皇帝。曹操死後、兄弟間で後継者争いが勃発した際には家臣の力を借りて他の兄弟に勝つ。
曹操配下の優秀な将軍や軍師が老齢のため次々と亡くなっていく中、蜀や呉へと戦争を仕掛ける。
戦争にて大きな戦果は上げていないが、蜀の武将・孟達が寝返った際には高待遇を用意するなど、魏の国力増強に努めた。
45位:陳宮(ちんきゅう)
初めは曹操に仕えていたが、後に呂布に仕えた軍師。絶大な武勇を誇るものの策を弄する事ができない呂布に数々の知恵を授け、軍事面でも政治面でも大きな活躍をする。
劉備が予州を開けた際に、呂布へ攻め取ってしまうよう説得したのは特に大きな功績と言えるだろう。
呂布が曹操に敗北し、一緒に捕らえられた際にはその才能を惜しまれた。軍師としての実力を随所で見せたためこの順位に入った。
44位:馬岱(ばたい)
蜀の将軍・馬超の従兄弟で、同じく蜀に仕える。蜀の英雄が次々と倒れていく中、諸葛亮の死後まで残り前線を支えたいぶし銀の武将である。
諸葛亮死後に魏延が反乱した際には、魏延の右腕として、かねてから動向を伺っていた馬岱が魏延を討ち取り反乱を鎮めた。
諸葛亮や魏延のもとで与えられた任務をしっかりとこなしているため、この順位となった。
43位:張昭(ちょうしょう)
孫策から孫権まで仕えた呉の軍師。兄の張紘と共に「江東の二張」とまで言われた賢人である。
孫策が死の間際に孫権へ、内政は張昭のに任せておけと残すほどの信頼を置かれている。その信頼通り内政や外交面で数々のアドバイスを孫権に授けており、孫権政権で果たした役割は大きい。
張昭がいなくなると孫権にストップをかけられる人物がいなくなってしまったため、呉は衰退への道を進み始める。
42位:馬良(ばりょう)
蜀の軍師で、荊州を代表する馬五兄弟の長男。眉が白かったことから「白眉」とあだ名され、馬氏兄弟の中で白眉が最も良いと評されたほどの逸材である。
劉備に仕えることになってからは荊州の四郡取りを勧めたり、他国との外交では使者として向かい説き伏せることもあるなど多くの実績を残す。
諸葛亮や龐統など巨大すぎる才能のもとに隠れた名軍師であることからランクインした。
41位:張任(ちょうじん)
蜀を治める君主・劉璋に仕えた武将。暗君と言われた劉璋に忠実に仕えた。劉備が劉璋を裏切り蜀へと攻め込んだ際には、幾度となく劉備軍と激突する。
知勇を兼ね備えた武将であり、蜀の地形を活かし劉備軍を何度も打ち負かす。更には劉備軍の軍師・龐統を討ち取ることにも成功する。しかし、劉備軍の援軍として諸葛亮から策を授けられた張飛が現れてからは劣勢に転じ、ついには捕らえられてしまう。
「鳳雛」とまで謳われた逸材でもある龐統を討ち取った功績の大きさからこの順位となった。
40位:太史慈(たいしじ)
孫策から孫権まで仕えた呉の武将。最初は劉繇に仕えていたものの、孫策に敗れて以降孫策に仕えることになる。
武勇に長けいくつもの領土を攻め落としてきた孫策と、一騎打ちで渡り合うなど確かな武勇の持ち主である。
孫権の代になってからは主要な戦争の多くに参加し、多くの戦果を上げる。呉軍戦力の中心となるような武将であったことからこの順位に入った。