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まずナルトは全ての点において合理的なところ。
・忍者=国の軍隊
・戦う理由=国の自衛と他国への侵略
・戦闘力=体力+チャクラの量+チャクラのコントロールレベル+必殺技の習得(螺旋丸・仙術など)+特殊能力(血継限界・秘伝の術・人柱力など)
・戦闘における相性=チャクラの属性ごとに相性があり、単純なパワーだけでは勝負が決まらない(水は土に弱く、火に強い等)
・尾獣=現実世界における核兵器、五大国のバランスを保つために千手柱間が各国に分散させた
・暁の成長理由=主に弱小国から軍隊のアウトソーシング(傭兵)として仕事を請け負って売上を上げ、その資金を使って各国の優秀な忍者をヘッドハンティングして人・金を大きくしていっている
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次に各組織の目的・存在理由が明確なところ。
・五大国:自国の繁栄
・暁:傭兵で売上を上げて尾獣を集める
・マダラ一味(オビト・ゼツ)の目的:十尾を復活させ、無限月読を発動させ、人類を意のままに操る
・黒ゼツの目的:マダラを操り、カグヤを復活させる
・大蛇丸一味の目的:①全ての忍術(禁術含む)の解明・習得、②木ノ葉隠れの里の滅亡
・サスケ一味(鷹)の目的:兄イタチを苦しめた木ノ葉隠れの里の滅亡
・千手柱間の目的:忍者の力を分散させ、バランスを保つ
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次に中心テーマが深い点。ナルトは色々なテーマが混在しているけど、特に重要なのは「憎しみの連鎖から抜け出すにはどうすればいいのか」というテーマ。ナルトという漫画はこの問題の解決に対して試行錯誤する漫画と言っても過言ではない。
まずそれぞれのキャラクターの持っている「憎しみ」について書いていく。
・ナルト:里の人達から化け物扱いされた
・サスケ:木ノ葉隠れの里によって兄イタチを利用して一族を殺され、イタチを里から追放した
・我愛羅:父や里の人たちから化け物扱いされた
・オビト:愛するリンをカカシに殺された
・マダラ:①弟イズナを殺された、②木ノ葉隠れの里においてうちは一族が隔離された、③ライバル柱間に勝てなかった
・四代目雷影エー:弟ビーをサスケに殺された
・ペイン(長門):忍びの世のせいで両親・飼っていた犬チビ・弥彦を失った
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この憎しみの連鎖から抜け出す方法について、一部のキャラクターは抜け出すことに成功している。
・ナルト:恩師イルカが愛を与えてくれた
・我愛羅:ナルトが道を示した
・オビト:ナルトが道を示した
・ペイン:ナルトが道を示した
(・エー:死んだと思っていたビーが死んでなかった)
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ただナルトと邂逅した多くの敵キャラクターは憎しみの連鎖から抜け出せてはいるが、本質的に問題が解決しているわけではない。
例えばペインは忍びの世を自分の力で終わらせたいと思っているが、ナルトの示した道によってそれが解決したわけではない。ナルトが示している道というのは「みんなで問題に向き合ってみんなで耐え忍んで問題を少しずつ解決していく」というものだ。これは六道仙人(大筒木ハゴロモ)の示した「忍道」と通じるものがある。この方法は誰も傷つかないという利点もあるが、みんなが協調するわけではないという現実の壁があり、さらに時間がかかる。
この憎しみの連鎖の解決に対する考え方がナルト・柱間・六道仙人と、サスケ・マダラ・カグヤとで大きく違っているので最後大きな大戦が生まれたと言える。
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岸本先生がNARUTOを通じて言いたかったことをまとめると、
①全ての問題の根源は「憎しみの連鎖」であること、
②その問題は簡単には解決できず、解決するためには人々の協調と長い時間がかかるということ、
③人々は同じ過ちを繰り返す
だと解釈している。
yoshikyu 通報する

③に関連するが、NARUTOは言い換えると力を持った者達の考え方の違いによる二項対立の大河ドラマと言うこともできる。
二項対立の歴史はハゴロモ・ハムラVSカグヤから始まり、アシュラVSインドラ、千手柱間VSうちはマダラ、うずまきナルトVSうちはサスケと繰り返されてきた。それを分かりやすくするために「輪廻転生」という設定を終盤に加えている。
柱間とナルトはアシュラの転生であり、マダラとナルトはインドラの転生であり、時代を超えて解決策を見いだせず戦い続けてきたのである。
そのようにナルトとサスケの争いに歴史の要素を加えることで、最後の2人の戦いに重みを加えているのである。
yoshikyu 通報する

二項対立の図式を一言で言うと、「分散」と「集中」である。
憎しみの連鎖の問題に対して、六道仙人・柱間・ナルトは力の「分散」という答えを持っている。
六道仙人は「忍道」を開くことによってチャクラ(=権力の源泉)を人々に分散させた。柱間は忍者の力を「里」というシステムを作ることによって分散させた。ナルトはこの世に存在する憎しみに対して「みんなで分散して忍び耐える」ことによって解決する道を見つけた。
一方カグヤは権力の源泉たるチャクラを自分一人に集中させ、マダラは憎しみの発生源である「人の感情」そのものを自分に集中させ、サスケは人々の憎しみの感情を自分一人に集中させることによって解決する道を見つけた。

ザブザ 通報する
二項対立でいうと、自来也VS大蛇丸、カカシVSオビト、猿飛ヒルゼンVSダンゾウもそうだよな
yoshikyu 通報する

その3組はたしかに対立してるんだけど、中心テーマからは少し逸れると思う。
自来也と大蛇丸の対立は忍者に対する考え方に関する対立で、自来也が忍者=忍び耐える者という考え方なのに対して、大蛇丸は忍者=全ての忍術を極めた者という違う考え方を持っている。
ヒルゼンとダンゾウは対立してるわけじゃなくて、木ノ葉隠れの里の運営を表の部分はヒルゼンが、裏の部分はダンゾウが受け持って行こうという役割を分けているだけ。つまり柱間とマダラの関係というよりは、柱間と扉間の関係に近い。
カカシとオビトは2人の考え方が対立しているというよりは、間違ったオビトをカカシが止めようとしてるだけだからちょっと違うかな。
黒 通報する

ダンゾウはもっと評価されてもいいと思う

よし 通報する
ちょっと思ったがヒルゼンとダンゾウ、柱間と扉間の表と裏の関係ってハンターハンターの映画のネテロとジェドの「表裏一体」の関係に似てるよな。
そのテーマを歌にしたゆずの表裏一体は名曲。
https://www.youtube.com/watch?v=RRIZhE1T3qs
yoshikyu 通報する
ナルトの争いでおもしろいのが「本当の悪」がほとんど出てきてないところ。一般的に「悪側」のマダラもオビトもサスケもそれぞれ「争いを終わらせる」という大義名分を持っている。自分の中では正義だと思っている。
さっき分かりやすくするために二項対立って言ってしまったけど、実際はナルトもサスケも柱間もマダラもほぼ同じ方向を向いていて、「犠牲に対する許容度」が違うって言った方がより正しい。
サスケは問題を解決するためならば多少の犠牲はいとわない(=自分と五影)という考え方で、ナルトは問題を解決したいし、犠牲も払いたくないという考え方である。
NARUTOの最後はけっこういい終わり方だなーと思ったのは、結局ナルトもサスケも正しくなくて、二人が協力して進んでいくって結論になってるところなんだよね。
ナルトの考え方だと物事が前に進まないし、サスケの考え方だと権力者サスケが誤ってしまった時に問題が大きくなるし周りの協力が得られない。だからナルトの「愛」(全てを受け入れる)とサスケの「強さ」(犠牲とそれに伴う憎しみを受け止める)という2つを合わせてこれから進んでいくって結論になったんだと思う。
ゲスト 通報する

まぁでも正義と悪をはっきりさせないせいで話が複雑で冗長になってる気もするんだけど・・・。
ゲスト 通報する

初めて物語がわかった気がする。
ナルト嫌いだったけど、すげえマンガだったのか
